「ありがとね!またけてね」
「キンちゃん、ギョーザ有難う御座いました」
手を握り合うサキとキンちゃん。
「キンちゃんゴチ」
お客さん多いのに店先まで見送ってくれるキンちゃんに申し訳なく思う。
「ありがと!またけてね~」
俺は背中を向けたまま片手を上げて足早に店を離れた。
キンちゃんはいまだに『来てね』を『けてね』と発音する。
単純に訛りではなくキャラづくりじゃないかと最近疑いはじめた。
まぁどっちでも良いけど。
サキが俺とハセプに追いつく。
「堀渕さん、ごちそうさまでした」
「気にすんなよ。またイコ」
「今日は変な態度でごめんね」
「俺の方こそメシがまずくなるような話ししか出来なくて悪かったな」
「堀渕さん悪くないよ。全部ホントの事だし」
そこでハセプか割り込む。
「でも善ちゃんは伝え方に問題あるね。言葉を選ぶべきだよ」
お前は内容に問題があるんだよ……と言いたいところ言葉を選んだ。
「ハセプの言う通りだ。
俺はさ、接する人の中のネガティブな感情を取り除きたいんだ。
その一心で熱くなりすぎて、逆にストレス与えてたら本末転倒だよな」
「ストレス感じるのはウチの受け取り方次第だよ」
「不安、悲しみ、怒り、憎しみ、妬み……ストレスも含むネガティブな感情に振り回されて大切な時間や才能を擦り減らしてる人が多過ぎる。ネガティブになる状況を生みだし助長する原因が自分の中のネガティブな感情なんだから、俺はその負の連鎖に一人でも多くの人に気付いて欲しんだ……只それだけだ」
微笑むサキ。
「じゃぁウチの不安も取り除く手伝いして貰おうかな?」
歩調を弱め俺はラークに火を点けた。
「俺に出来る事ならなんでもしてやるよ」
「善ちゃん漫画の事解んねぇぞ、サキ」
「ウチが不安なのは画力とか漫画とかの次元じゃないと思うんだ」
「そうだよな、サキの漫画がプロにも劣らないって事は俺にでも解るよ」
「プロとアマの違いって単純に画力や目先の技術じゃないと思うの。
力強い存在感とか、その人じゃないと描けない世界観みたいなモノ……
ウチの漫画にはそれが足りないと思う。
人を夢中にさせる漫画を描く自信がないんだ」
「サキはさぁ、いつもどういう想いで漫画描いてんの?」
「最初はただ単純に好きで描いてた。っていうか今もそうだね」
「勿論それは大切な事だと思うよ。その積み重ねで今のお前があるんだから。
要するにサキは今まで自分の為に漫画を描いてたって訳だ」
「そうだと思う。だからウチの漫画って中身が無くて好きなモノの寄せ集めみたいに感じるんだ」
「じゃあさ、これからは自分の漫画を読んでくれる人のために描いてみたら?
読者が単純に楽しめるモノでも良いし、
何かタシになる想いを詰め込んだモノでも良いから」
「読んでくれる人のために?」
「そういう事。俺の中でプロとアマの違いはそこなんだ。
自分のためにする事は趣味で、人のためにする事が仕事だ」
俺がそう言うとサキは立ち止まった。
2、3歩進みサキを振り返ると目を伏せている……。
このタイミングでキスの催促ではないとは思うが……ハセプも見てるし。
「出来る・・・出来るよ堀渕さん」
いやココではまずいでしょ……目を見開くサキに驚いて俺は思わず後ずさった。
「描ける気がする!すぐじゃないけど頑張る方向が見えてきた!!」
「ホントかサキ!」
「ホントにホント! 有難う堀渕さん」
俺の手を取ってはしゃぐサキは心から喜んでいた。
こういうケースは本当に稀だ。
俺に悩みを持ちかける人間の大半は、ただ助けを待ってるに過ぎない。
期待している答え以外は全てスルー。どんな金言も彼等には無意味だ。
多分そんな悩みはさほど切実ではないんだろう。
真剣に悩んでいたからこそサキは答えを自ずから導きだした。
『求めよ、さらば与えられん』という訳だ。
「善ちゃん、アレ」
ハセプが少し先の路地に向けて顎を突き出す。
その先には座り込んでいるボブの姿があった。
「あの馬鹿、電波の届かないとこってココか!」
ボブに突進しようとする俺の腕をサキが掴んだ。
「待って堀渕さん」
「なに?」
「ボブ、誰か待ってんだよ。見て」
ボブの首に下げた携帯灰皿はいっぱいで、
足元にもかなりの吸い殻が落ちている。
そして俺等の気配にも気付かず、向かいのビルの通用門を見詰めている。
「解った。ハセプ、ここシャク屋だろ?」
「あぁ、多分三好の伏谷さんが看てる店だと思うよ」
「風俗嬢が出てくんの待ってんだよアイツ」
「それって立派なストーキングよね」
「ヒクよな。サキなんか特にヒクよな」
「ウチのお祝い断ってストーキングって……ワケ解んない」
サキは明らかに嫌悪の表情を浮かべている。
ドアの開く音が響き、俺たちは慌てて物陰に隠れた。
物陰から覗いてると誰がストーカーだか解んなくなってくる。
通用門から出てきた小柄な女性にボブが歩み寄る。
「あっボブさん」
「涼ちゃん、お疲れ様」
「寒いのに待っててくれてたんですか?」
「これ渡そうと思って」 堀渕の名刺を渡すボブ。
「就職情報ハッピーワーク? 職安ですか?」
「それハローワーク。その堀渕って人がさっき話してた俺の友達」
「ボブさんを元気にしてくれる人ですね」
「俺そこでバイトしてんだ」
「どんなお仕事なんですか?」
「簡単に言えば仕事の斡旋だけど……堀渕さんは仕事を通して人生を取り戻す手伝いをするのが俺等の仕事だっていつも言ってる」
「何喋ってんだアイツ。聞こえるかハセプ」
「全然。女の子、嫌がってなさそうだしストーカーじゃないんじゃない。帰ろっか」
「いや新種のストーカーって事もあるぞ。もう少し様子見よう」
「時間あったら遊びに来てよ。明日とか」
「興味あるけど、良いんですか? 邪魔になりますよ」
「全然大丈夫、俺もいるし。何時頃来れる?」
「お昼過ぎなら私は大丈夫ですけど……」
「じゃあ約束な。絶対何かプラスになると思うよ」
その時、反対側の通りに乗り付ける黒のセダン。
不穏な空気が流れ安西が降りてくる。
「涼子、帰るぞ」
「安西だ」
「知ってんのかハセプ」
「ここいらで好き放題やってるチンピラだよ」
「チンピラ? ヤクザじゃなくて?」
「さっき言った伏谷さんの世話になってるみたいだけど杯は貰ってないと思う。
最近特に派手にやってっから本職にシメられんのも時間の問題だよ」
「じゃあヒモの登場って訳だ。ボブもやっかいな女に入れ込んでんなぁ」
安西から視線を外さないボブ。
ボブと安西の視線を遮る様に割ってはいる涼子。
「迎え来たから帰りますね。じゃあ明日必ず……」
二人に向かい歩きだす安西。
「誰だそいつ」
「友達のボブさん」 慌てて取り繕う涼子。
「な訳ねぇだろ」 涼子を押しのけボブと対峙する安西。
「こいつのナリじゃお前には釣り合わねぇ」
ボブは震えた声を絞り出す。
「アンタも十分不釣り合いだと思うけど……」
「なんだとコラ」
「ボブヤバいよ善ちゃん!」
俺は飛び出そうとするハセプの腕を掴んだ。
「出しゃばんなハセプ。ボブに恥掻かすんじゃねぇ」
「アンタ、涼ちゃん幸せに出来んのか?」
「ボブさん、やめて下さい!」
「不幸にしたらボクが許さない……ってか?」
そう言い終わると突然ボブに跳びかかる安西。
両肩を掴まれ、背後の壁に身体ごと叩き付けられるボブ。
「なめた口きいてっとブチ殺すぞコラ!!」
叫びながら更にボブの背中を壁に叩き付ける。
「義弘さんやめて!」
安西の腕に飛び付く涼子、頬を平手で殴られ倒れる。
「おめえが隙みせるから俺が不愉快な思いすんだろ!」
「堀渕さん、大変だよ」 サキは動揺して俺に訴えた。「何とか出来ないの?」
「いいから黙ってみてろ」
あの安西という男は冷静だ。必要以上に傷付けず恐怖心を植え付ける術を心得ている。
ボブから手を放し涼子に視線を移した安西は肩で息をしながらマルボロに火を点ける。
壁にもたれかかったボブは身動き一つ出来なかった……。
うずくまる涼子が視界に入り、安西に対する怒りが全身を貫いたが身体が一向に反応しない。
暴力の持つ破壊的なエネルギーは、強者の力を鼓舞し、弱者から更に力を奪い去る。
それはその場を満たしてボブの全身にも間違いなく作用していた。
ボブは自分の弱さに失望し、今この場で意識があることを呪った。
涼子の二の腕を掴み立たせる安西。
「大丈夫か涼子」
「大丈夫」
殴られた頬をおさえたままボブに向かって歩き出す涼子。
呆然と定まらなかった視界に涼子の姿を見止めたボブは思わず俯き目を逸らした。
「本当にごめんなさい」 深々と頭を下げる涼子。
めまぐるしく思考は駆け巡るが言葉にすればどれも女々しい。ボブはただ立ち尽くしていた。
「行くぞ涼子」
涼子の肩に手をおく安西。
涼子はもう一度深く頭を下げて立ち去る。
「おい童貞」 安西はマルボロを捨てボブを顧みる。
「風俗嬢イコール不幸ってのはお前の偏見だろ。
人の生き様見下してんじゃねえよ」
唾を吐き立ち去る安西。
黒のセダンが走り去ったあと、ボブはその場に崩れ落ちた。
涼子に語った理想は一瞬の暴力と怒号に砕け散り、押し潰されそうな程の自己嫌悪だけが残った。
ボブは顔を隠して泣いた……湿ったコンクリートの壁に押し殺した嗚咽が沁み込んでいった。
助手席の涼子は呆然と外の景色を眺めている。
「悪かったな涼子」
「悪かったって思うなら、私の友達には絶対乱暴しないって約束して」
「アイツは友達なんかじゃねぇぞ。只の客だ」
「ボブさんは只のお客さんじゃない」
安西を振り返る涼子。
「私の手も握らずに話をしてくれるの。
私を元気付ける話。ボブさんは私の友達よ」
どんな状況でも涼子の目には美しいものが映り、安西の目には醜いものが映った。
全てに悪意を見出す神に呪われた自分の目を疑わない事は、破滅への最短距離を示し、
全てに善意を見出す神に祝福された涼子の目を信じる事が豊かな明日をもたらす事だと安西自身、心の底では理解していた。
「解ったよ涼子。
あいつはお前の友達で、俺はお前の友達には乱暴しない。約束するよ」
「有難う義弘さん」
涼子の優しさに同調する度に、安西は胸の辺りが温かくなる気がする。
今回も自分の弱さが涼子の気持ちを裏切り、胸の辺りが乾くまでその感覚は続くだろう。
帰る道すがら一言も喋らないサキとハセプ。
知人が風俗嬢に熱上げてヒモにシメられるとこ目の当たりにしたら、
誰でも複雑な心境だろう。
「後味悪いモノ見たな」
その空気の中で俺の声には無神経な響きがあった。
「何も見なかった事で、いんじゃないかな?」
自信なさげにサキが提案した。
「俺もそう思うよ」
ハセプも同調し俺達は何も見なかった事になった。
その時なぜか昼にボブが言ってた『人の犠牲の上に立つ幸せな男』が
あのヒモの事だと確信した。