「彼の今の生き方は、全て私の為に選んだ道です。
何かトラブルがあったら……それは私の所為でもあるんです」
そう話す涼子を見ながら俺はその男がボブの言うような只のタチの悪いヒモでは無い気がした。
「どう生きるかは全て本人次第だ。誰の責任でもないよ」
俺の言葉が届かなかった様に涼子は話しだした。
「きっかけは1年程前、私達が付き合い始めて間もない頃でした。
私の親に彼との交際を知られて、酷く反対されたんです」
「何が原因で?」
「地元の……二人とも県北の同じ温泉町の出身なんです……
彼はそこの中学のイッコ上で当時グレてた事を私の親は知ってましたし、
その上、彼の家庭環境まで批判して……」
「まぁ親だから心配するのは仕方ないとして、理解して貰うには時間が必要だろうな」
「時間を掛けても無駄だったと思います。
父は家族と彼のどちらかを選べって、その一点張り。
私には答える事は出来ませんでした。
どちらかと縁を切るなんて、考えられなかったから……」
涼子の意識は恐らくその瞬間に戻ってる。
まるで今、詰め寄られているように苦悶の表情を浮かべていた。
辛かった瞬間に感情を戻させた事に俺は少しばかりの罪悪感を感じた。
「結局私は勘当されて、親の援助は一切なくなり、それ以来電話の一本もありません。通っていた音大も学費が払えなくて休学しました。
彼は今でもその事を負い目に感じてるようです」
「その頃の彼は真面目に働いてたんだね」
「はい。愚痴一つ言わずに……」
そして言い難そうに言葉を続けた。
「彼、お母さんの仕事が嫌で……辞めるように何度もお願いしてました。
楽が出来るようにと毎月給料の半分を送ってたんです。
そこに私の問題が持ち上がって学費も捻出しようと……
その事が彼を追い詰めたんだと思います」
俺はラークに火を点けた。
ぼんやりとだがこの純粋な心を持つ涼子の優しいがゆえに犯す過ちが見えてきたような気がする。
「それで金を稼ぐために危ない橋を渡ってるって訳だ」
「自分は世の中からつま弾きにされてる。
必要なモノは力で奪うしかないって、彼口癖のようにそう言ってます。
私はそれを聞く度にすごく不安になるんです」
「力で奪ったものは、必ず奪われる。彼が選んだのはそういう生き方だ」
安西はコンビニで立ち読みしながら涼子からの電話を待っていた。
ボブに謝るのは決して気のすすむ事ではないが自分が悪いのは解っていた。
昨日踏んだヤマの所為で気が荒れていた事は認めざるを得ない。
安西は自分の生き方が明らかに涼子に相応しくない自分を形成していると感じていた。
携帯を見て着信がないのを確認してコンビニを出た。
車のオートロックを開けたところで背後から声がする。
「安西」
振り返る安西は自分の脇腹に押し付けられたスタンガンが目に入り、とっさに肘で払いのけた……スタンガンは空中で派手な音と火花を散らす。
ひるんだ男の顎に安西は正拳を叩きこんだ。
自分の車のドアを勢いよく開き、それで崩れ落ちる男の頭を殴り付ける。
隣に停めてあった黒のワンボックスから男が二人降りて来て安西を挟んだ。
「いきなりご挨拶だな。俺に何の用だ」
「俺たちじゃねぇよ。お前に用があるのはウチの木庭さんだ」
「篤誠会か。丁度良い、俺ヤーコ嫌いなんだ。
テメェ等の顔も歪めてやるよ」
言うや否や背後の男の胸に足刀蹴りを入れる。
蹴られた男は半歩下がり踏み留まる。
倒れた男が安西の軸足にスタンガンをあて電流を流す。
崩れ落ちる安西。
倒れた瞬間に身体をヒネりスタンガンを持った男の顔に膝蹴りを入れる。
足刀で蹴られた男が安西に馬乗りになり両手で胸倉を掴み引き寄せる。
「武藤がオメェを待ってるぜ。友達見捨てるなよな、安西」
「武藤に何した!」 その男の口を殴りつける安西……。「殺すぞ!」
微動だにしない男は安西の顔に血の混じった唾を吐きかける。
「殺してみろチンピラ……本職舐めんなよ」
体重を乗せた拳が安西の顔に叩き付けられた。
「私はもうこれ以上……何も失いたくないんです」
俺に向けて無理につくった涼子の笑顔が痛々しく思える。
「私の仕事……ボブさんから聞いてますか?」
「本人には向いてないから……辛そうだって言ってたよ」
その言葉を聞いて頷く涼子。
「私……風俗店で働いてるんです」
「風俗って、どう言った?」
「ファッションヘルスです。どんな仕事か解りますか?」
「……勿論、解るよ。
その仕事自体は否定しないけど、俺も君には向いてないと思う。
そして向いてないと凄く辛い仕事じゃないかと思うんだ」
今にも涙が零れおちそうな瞳を見開いて、涼子は只俺を見つめる。
「どうしてその仕事に?」
「彼を護る事が出来るなら、私はなんだってします」
「なるほど」 俺の中でようやく涼子と風俗が結び付いた。
「彼に後ろ楯をつくる為に、君はそこで働いているって訳か」
「暴力団関係の人とトラブルがあって、
もう後がないっていう時に伏谷さんって方が助けてくれたんです。
私がその人の所で勤めれば、それからも後ろ楯になるって約束してくれました」
「彼の安全と引き換えに自分の未来を差し出したって訳だ」
「彼が私にしてくれた事を考えると……足りない位です」
ワンボックスの後部座席に座らされた安西は身動きが取れない様にしっかり縛られていた。
さっきスタンガンを見舞ってくれた小柄の男、森下が隣に座っている。
派手に顔が腫れ上がった森下に安西が話しかけた。
「武藤は俺が無理矢理巻き込んだんだ。アイツは勘弁して貰えねぇかな」
「俺等に頼んでも無駄だ。全部木庭さんが決める」
「解ったよ。直接頼んでみるよ。なんでもかんでも木庭さんだな」
「もし俺等に決定権があったらお前をその程度じゃ許さねぇ。
それからひとつ忠告しといてやる。
木庭さんに願い事はNGだ。お前はあの人の要求に応える事だけに専念しろ。
機嫌を損ねたらお前は勿論、お前の身内もお終いだ」
「冗談じゃねぇよ。身内もってどういうコトだよ」
「逆らえば、お前の彼女と田舎のお袋さんに迷惑が掛かるってコトだ」
「あいつ等は関係ねぇだろ」
「俺たちは相手が一番恐れてる事を見抜き、それを躊躇なく行い、人を跪かせる。
お前はそういう世界に足を踏み入れたんだ。諦めて腹括るんだな」
深く溜息をつく安西……。
「一本、電話いれさせてくんねぇか?」 と項垂れたまま一言を吐きだした。
「三好興業の伏谷さんか?」
目を上げて森下を見る安西は明らかに動揺していた。
「電話しても無駄だ。今朝がた木庭さんが話つけた。
伏谷さんは篤誠会とコト構える気はない。お前等のケツ持ちも降りるそうだ」
安西は下唇を噛み締めた。自分が見捨てられたのは自業自得だ。
たいして期待もしていなかった。
只、涼子の行為が、彼女の自己犠牲が全て徒労に終わった事が悔しかった。
「伏谷さんに伝えてくれ……
あんたには世話になったが涼子を失望させた事は一生忘れないって」
「君たちの今の状況をつくりだした原因は何だと思う?」
俺の問い掛けを涼子は真剣に考えていたが言葉が出て来ないようだった。
「それはヤクザでも石頭の親父でもない。全ての原因は君達の心の中にある」
「私達の心の中ですか?」
「そう、望ましくない状況を君たちは無意識に望んで、それが現実になってる。ただそれだけだ」
涼子は自分の記憶と心の中を振り返り答えを探そうと努力している様だった。
「どうも難しくって……もう少し詳しく教えて頂けませんか?」
「君たちは恋人の為に全てを投げ出し、言葉じゃなく行動で深い愛情を示してきた。自分の事しか考えない人間が多い中で、君たちだけは愛情の本質を体現してる……。でもそれは同時に相手の身になって考えてみれば自分の為に恋人の人生を犠牲にしたって事にならないか?
そんな状況で、その後の自分が幸せになる事を許せると思う?」
「許せません」
涼子は俺の目を見据えてはっきりとした口調で言った。
「君たちはお互い『自分の幸せ』を望んじゃいない。その姿は、遭難した二人が一欠けらのパンを譲り合って衰弱していく様に似てる」
その言葉を聞き涼子は床に視線を落とした……。
「涼子さんいいか、俺が一つだけ請け合ってやる」
涼子は俺に視線を戻した。
「君たちは二人揃って幸せになれる。幸せに定員オーバーなんてねんだから」
「……本当ですか?……」
涼子の微かな声を聞き、俺は頷いた。
「本当だ。君たちは愛情に溢れてる。唯、一つの対象に固執するからそれ以外が敵になるんだ。その愛情を注ぐ対象を広げればいい。
はじめは、ちっちゃな自己愛が、母親、家族、恋人、仲間……やがては世の中全体を包みこむ。
それが理想的な愛情の育み方だ。そしてその愛を行動で示せば必ず幸せになれる」
呟くように涼子は言った。
「二人で……幸せに?」
「そう、二人で」
俺はもう一度頷いた。
「その前に約束してくれ。もっと自分を大切にすると」
涼子は大きく息を吸い、その瞬間に涙が零れおちた……。
俺は目を逸らし、話し続けた。
「人って生きてるだけで空気吸って飯喰って……死ぬまでずっと消費を積み重ねてんだろ?
だから生きてるうちにさ、皆、自分を成長させて借りを返さなきゃ駄目だと思うんだ。
悲しみや苦しみってのは借りが返せてないことに対しての戒めだと思う。
俺達はあらゆるモノの世話になって生きてんだから……例えば君の人生も君だけのものじゃない。だから決して人格を貶める事をしちゃいけない。
もっと自分を大切にしてまだまだ沢山借りを返さなきゃ駄目だよ」
涼子の押し殺した嗚咽が聞こえ、膝に落ちる涙の量が次第に増えていく。
それは今までの彼女の辛い思いを物語っていた。
またいつもの調子で喋った俺はその涙の意味がネガティブなものでない事を祈った。
「少し話聞いただけで、決めつけた様な物言いでごめんな。俺の悪ぃ処なんだ」
「いいえ」 涼子は上体を起し
「有難う御座います。堀渕さんに逢えて本当に良かったです」 と微笑んだ。
その時、丁度ドアが開きボブが入ってきた。
「涼ちゃん?」 驚き後ずさるボブ。
閉まりかけたドアで後頭部を強打して頭を押さえてうずくまる。
「痛そ。ゴンていったぞゴンて」
「大丈夫ですか?」 立ち上がる涼子。
その声を聞いて勢い良く立ち上がるボブ。
「ちょっと血が出たけど大丈夫。血が出たけど……。
ホントに来てくれたんだ、涼ちゃん」
「はい。お邪魔しに来ました」
涼子は屈託のない笑顔で応えた。
「もしかして……泣いてた?」
「笑いすぎて。堀渕さんって本当に楽しい人ですね」
こっち見んなボブ。なんて目で睨んでんだ。